INTERVIEWアーティスト・クリエイターズインタビュー

D[diː]

アーティスト・クリエイターが彩る色彩の世界

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Clip to Evernote

幻想的で儚い彼女の作品を支える繊細な色使いとは?

D[diː]さんが絵を描く以前に、絵に興味を持った入り口はジブリだと聞きました。

そうですね。最初が幼稚園のときに見た『風の谷のナウシカ』だったのですけど、あれにショックを受けちゃって。

ショックですか?

はい。だって、あれ、ものすごい世紀末感じゃないですか。それまで観ていた、子供向けのアニメでは、あんな深刻なものみたことなかったら、ものすごいショックを受けて。それから続けてジブリ作品を見るようになって。うちは親が転勤族だったので、小学校のときに学校を何回も転校しているんですね。4回目の転校で引っ越した街が、治安の悪いヤンキーだらけの全国でも離婚率ナンバーワンになったことのある街だったんですよ。「なんでこんな街に来たのだろう...」って毎日思ってたんですけど、ある日、人形劇とかを親子で観に行く親子劇場の集いの一環で、宮崎駿さんが講演会に来たんですね。そのときに「あぁ、私がここに来たのはそういうことだったんだ」と子どもながらに思って(笑)。

なるほど(笑)。一方で、絵を描くようになったきっかけは何でしたか?

アニメのビジュアルブックって分かりますか?

アニメが漫画みたいに構成されている本ですよね?

そうそう。あれを買って、背景画を模写していましたね。たしか『魔女の宅急便』だったかな。それをひたすら見て描いたり、家にビデオデッキがなかったので、サントラを聞いてシーンを思い浮かべながら描いたりして。あとすごく好きだったのは、『ノーム』というヨーロッパの絵本ですね。なぜか遠藤周作が翻訳をやっていて、絵が本当に上手で毎日のように眺めていました。そこに描かれている小人がすごく好きでしたね。友達がいなかったので、独りで森の中に小人を探しに行って、よく探検してカラスに追いかけられたりしていました(笑)。

ある意味、インドアとアウトドアの振り幅が広い子どもだったんですね(笑)。絵を描くことを生業にしようと思ったのは、いつのことでしょう?

東京に出てきてからですね。多摩美(多摩美術大学)の油絵学科に通っていて、大きなテンペラ(乳化作用を持つ物質を固着材として利用する絵具)で漫画を描いたのですよ。それをたまたま『ダ・ヴィンチ』の編集者の方に見てもらう機会があって、まだ半分しか出来ていなかったのですが、「誌面に載せたい」って言って下さって。それで『ダ・ヴィンチ』に載った後に、唐沢俊一さん(サブカルチャー評論家、コラムニスト)にお会いしたんですけど「ダ・ヴィンチに載ってるんです」って言ったら、次の日に「『SFマガジン』のカットを一点描いてくれない?」という電話を掛けてきてくださったのですよ。カット一点しか仕事がないのに、「大丈夫だ」と思って、美大を辞めちゃいました。

かなり思い切った決断ですけど、美大に未練はなかったのですか?他に収入の当てもあって?

実習はすべて真面目にこなしましたし、学科の単位もあと一つ取れば終わりで、すでに勉強したい学科は取得してあったので、「もういいや」と思って辞めちゃったんです。

「やるところまでやったから、もういいや」っていう感じですよね。

そうそう。私がいた油絵学科って、3年4年でアトリエに入って作品を描く流れだったんです。でもそれなら、「家で描けばいいじゃん」と思って、親に「2年間の学費分が削れるからその分を仕送りにしてほしい」って相談したら、親は「せっかくあれだけ頑張って入ったのに...」って、はじめは美大を辞めることに反対していました。私は北海道の出身なのですが、その後、最終的には「あんたが辞めたから溶雪炉ができて良かったわ」って。美大の学費ってかなり高いから。結果的に変な形での親孝行というか、実家のインフラに貢献したと喜ばれました(笑)。

笑)ここからは〈色〉についての質問になりますが、今日着ている洋服の色と絵を描くときに使う色では、色を選ぶ意識に違いはありますか?

洋服は色のはっきりしたものが好きです。オシャレしたいときは、ビビッドな色モノとか柄モノじゃないと落ち着かない。今日着ている洋服は、ELEY KISHIMOTOというロンドン在住の日本人とイギリス人のブランドのもので、テキスタイルがすべて手刷りなので美術品を集めているような気分になるので、すごく好きですね。絵を描くときは補色がぶつかる色を使うことがかなり多いです。淡いパステルのような色も使います。今日は違う色味でいこうって思う事もあるのですけど、気が付くと自分のいつも使っている好きな色になっているから不思議というかなんというか。

何色が好きですか?

赤と緑ですね。クリスマスの配色はみているだけでワクワクするから好きです。あとは黄色と青も。私の描く絵って全部が青い線で描かれていて、黄色は補色だからビビッドになるんですよ。補色同士の組み合わせが好きなのですね。

たしかにD[diː]さんの絵は、人肌や動物の毛の部分が青で描かれていますよね。

元々は下書きを描くときに青い線で描いていて、最終的にそれをパソコン上で飛ばしていたのですけど、祖父江慎さん(人文書、小説、漫画などの書籍の装幀デザイナー)とお仕事をご一緒した『ドニー・ダーコ』という映画のノベライズがあって、祖父江さんが「下書きの線が良いから消さないで」って言ってくださって、青い線の存在を認識したというか。最初に青い線を褒めてくださったのが祖父江さんだったので、この青い線は祖父江さんのおかげです。

それは大きな自信になりますよね。いつもどんな道具を使って描いているんですか?

主に色鉛筆です。たまに水彩とかアクリル絵の具とかオイルパステルとか。色鉛筆はほぼ使ってない色もありますけど、120〜150色くらいあるのかな。

色を使うときにご自身の中でルールはありますか?

ありますね。私の絵はすごく微妙な色のかけあいで構成されていますが、一歩踏み外すとダサい感じになっちゃうから、緊張感あります。間違わないように自分で色のパターンのチャートを作って、自分図鑑みたいなものを使っていますね。色が多い絵を描くときは、ものすごく時間がかかります。色の配色に頭を使うし、ほとんどの線は一発で描いているから消せないですし。油絵とかは色を重ねて直せるんですけど、色鉛筆は色を混ぜられないし変えられないので、冷や汗をかきながら塗っているような状況です。

やり直し出来ないから、かなり集中力を費やすんですね。カラフルなひよこのイラスト作品もありますが、あれは色をテーマにした作品ですか?

あれは色をテーマにしたというか、小さい頃にお祭りで見たカラーひよこのショックが大きかったんですよね。スプレーで噴射されて着色されたひよこが、あまりにもかわいそうで。でも可愛くって。可哀想可愛いというか。そのときの印象を絵にしたものですが、この絵にはストーリーがありまして、カラーひよこを買って来たきょうだいのお話で、最終的におばあちゃんが育てることになるっていう。

これまでに色をテーマにした作品を発表したことはありますか?

2007年に赤と緑の色を使ってクリスマスと関係ないオブジェクトを描きながらもどこまでがクリスマスとして認識されるのか?っていう実験もかねたインスタレーション(『GREEN & RED Xing X'mas』)を、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIでやりました。

お話を聞いていると、補色はキーワードの一つですね。

赤と緑だけを使って、どこまでクリスマスを表現できるかというのは、例えば、赤と緑のスイカは夏の風物詩だけど、それさえもクリスマスっぽくに見えるんじゃないかとか、色んなものを赤と緑で描きました。それ以前の私の絵には、おどろおどろしい暗いものをモチーフにしていたところが多かったんです。でもこのインスタレーションをやった後くらいから、カラーをよく使うようになりましたね。そのときまで描いていたのは、木炭を使った白黒の世界が多かった気がします。

どちらかといえば、濃い赤ですか?

そうそう。ピュアレッドというよりは、ちょっと濃い渋い赤ですね。バスタオル以外にベッドカバーとかも赤が使われていて、赤って血を思わせるじゃないですか。主人公は、ものすごく恨みをかって性転換させられるのですけど、いつ血が噴き出す様な怖いことが起きるのかとソワソワさせられる。アルモドバルの作品は、その色使いだけで観ている者に緊張感を与えられるんです。『私が、生きる肌』はアルモドバルの中でも完璧に近い作品だと思いますね。

イラストレーターとして絵を描く一方で、D[diː]さんは作家として文章を書いていますよね。

文章は『キぐるみ』という小説を描いた頃からですね。当時の私って自分でも本当のバカなんじゃないかと思うほど、人に「これ、どう思う?」って感想を聞かれても、「かわいい」とか「いいと思う」ぐらいしか言えない人間だったんですよ。

思っていることをうまく言葉に出来なかったんですね。

ものすごく頭の中が混乱した状態でしたね。だけど、とある文藝雑誌の編集者の方にインタビューされたときのことなのですけど、その方は私がファックスに描いた家までの道順の説明を見て、なぜか「この人は小説が描ける」と思ったらしく、突然「小説を書いてみない?」ってお話をくれたんです。それで私は「やります」って答えて。

文章を書くことは得意だったのですか?

いえ、小説どころか文章もそんなに書いたこともありませんでした。でも例の美大を辞めたきっかけのイラストの仕事一本しかなくて、暇だったから。

美大を辞めたときのお話もそうでしたけど、その覚悟はすごいですよね。

小説を書いたこともないのに書けますとか、どういうつもりだって話ですよね(笑)。でも、いざ小説を書くとなって、絵描きの自分だったら何を書けるのか深く考えました。それで、漫画と文章をコマ割りの中に一緒に入れていく手法をとったんです。そしたら不思議なことに、小説を書き出してから、やっと脳内のシナプスが繋がったみたいで、自分から思っていることを話すことが出来るようになって。それまでの私はものすごい人見知りでしたが、それもなくなりました。

言葉を噛み砕いて話せるようになったことは、ご自身の中では革命的な出来事だと思っていて。

そうですね。小説の『アルジャーノンに花束を』のアルジャーノンみたいに徐々に言葉が繋がってきて。自分の絵に関しても意識が変わって、「ただの一枚絵を描いているんじゃない。全てに物語があるんだ」って考えるようになりました。物語を考えながら描くのと、漠然と描くのって違うと思うのです。私は色んなことをやっているように見えるかもしれないんですけど、作品を作るという意味では、私の中で同じことなんです。やっぱりどちらにしても、ビジョンとストーリーがないと進んでいかないんですよ。

お話を聞いていて思うのは、D[diː]さんは仕事で人と関わるようになってから、今まで閉ざされていた引き出しが開いて、その一つひとつを武器に変えてきましたよね。これからどんな新しいことに挑戦していくのか、すごく楽しみです。

私がやれることで新しいことってなんだろうな。海外での展覧会はずっと目標にしてきたことなので、いつか実現したいです。海外との仕事もまだ経験がないので、活動の場を日本以外にも広げていけたらいいですね。

応援しています。今日は貴重なお話ありがとうございました!


プロフィール

D[diː] / 作家、イラストレーター

deeth.net/

2000年、多摩美術大学在学中に発表した『ファンタスティック・サイレント』を、宮崎駿監督のお墨付きで出版、デビュー。二作目、『キぐるみ』発表で「ノベルコミック」という文学スタイルを生み出し読者に衝撃を与え、その後も鋭い観察眼と叙情的な文章でシニカルかつスイートな世界感の作品を精力的に創作。小説、漫画、イラスト、ファッション、デザインなど多分野をまたに活動する稀有な存在として、各界の著名人にも支持者が多い。 ペンネームをD[diː]という匿名性の高いアルファベットにしたのは、描いている本人のパーソナルな要素(国籍、人種、性別、年齢など)が、作品を見る側に先入観として入り込まないようにという配慮からという理由が大きい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Clip to Evernote