田名網 敬一

アーティスト・クリエイターが彩る色彩の世界

"色の魔術師"の色彩感覚は、どのようにして培われていったのだろうか?

THERE CAN BE TRANSFORMING OF DARKNESS INTO LIGHT
闇から生まれる創造と色彩
現在発売中のLibertin DUNE No.4より。
※同号にて、東洋インキとLibertin DUNEのタイアップによるA1ポスターが封入された。

田名網さんは生まれも育ちも東京とのことですが、今と昔の東京ではどんなところに大きな違いを感じますか?

昔、僕が若い頃には、東京のあちこちに闇があったんだよ。今は真夜中に外を歩いていても、雑誌でもなんでも読めるぐらい常に明るいでしょう。街頭も整備されたし、ビルから漏れる光も大量になってきたから、街全体がものすごく明るくなってきている。いわゆる漆黒の闇ってあるでしょう。昔はちょっと路地に入ったら、真っ暗闇が当たり前のようにあったわけだよね。例えば、どこか呑みに行ったりする時に、自分の家から盛り場までの間は、ほとんどが闇だった。盛り場は居住空間と切り離されていたんだよ。

今は住んでいる建物やビルの真下に飲食店があることも珍しくありませんよね。

昔は絶対になかった。今は生活空間と遊びの空間がくっ付いてしまったわけだよね。そのために、真っ暗なトンネルみたいなものをくぐって歓楽街に行く、そういうライフスタイルが東京のような都市からはなくなってしまった。当時、僕が盛り場に遊びに行くということは、一種の冒険旅行でもあったわけだよ。

当たり前のように闇があった環境は、人間の想像力に影響をもたらしたと考えますか?

谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を読めば分かるけど、闇によって日本人の美意識が培われてきた部分がたくさんあるわけだね。今の若い人が着ている洋服を見ていると、ほとんど同じものを着ているじゃない。若干のバリエーションがあったとしても、基本は同じでしょう。オルガナイザーが煽動して、ビジネスを仕掛けているという背景があったとしても、やっぱり都市に闇がなくなってから、人間の想像力はものすごく退化していったと思う。闇があるから光があって、光があるから色彩を感じる。そこに人間は情緒や情感や美を感じるでしょう。

人間が培ってきた色彩感覚の特徴は、どんなところにあると感じますか?

例えば絵画の歴史を見ても、バロックの先駆者カラヴァッジオや17世紀のオランダ美術を代表するレンブラントなどの絵はほとんどの背景が闇の空間だよね。黒を基調とした明暗のコントラストによって人間が浮き立ってみえる。そこには色彩の美しさとか、人間の精神性や深層心理までをも表すような場面が形成できているんだよ。絵の背景が明るい状態にあったら、そこまで強烈な説得力を得られなかったし、深遠な空間を創出できなかった。人間の思考力って、どう考えても夜のほうが発揮できる。周りがピーカンで明るいと、思考力も鈍るよね。つまり、そういう状態に人間そのものが置かれてしまっているわけだよ。思考が停滞していって、人間の本来あるべき想像的なエネルギーもどんどん低下していったと思うのね。色彩の明滅ということで考えても、暗いところから明るいところに出ることによって、はじめてビジュアルのショックがあるんだよね。

田名網さんの作品は鮮烈な色使いが印象的ですが、こうした色彩感覚はどのように培われたのでしょうか?

幼少期の体験や記憶というのが、いまの僕のスタイルを作ったと思うね。僕が子供の頃は戦時中という特殊な時代で、夜になって空襲が始まると、焼夷弾の光で空が赤やオレンジ色に染まるんですよ。そういう光景を目の当たりにしていて、もちろん恐怖心もあるんだけど、火花が散ったりしているのを見て高揚する感じもあったんだよね。毎晩のように見たことのないような異世界が眼前に広がっていて、そんな当時の体験が結果的に僕の色彩感覚につながった一番の理由になっているんじゃないかな。

子どもの頃に体験した非日常的で鮮烈な光景が、田名網さんの深層心理に刷り込まれていったのかもしれないですね。

うちのおじいちゃんは金魚を趣味にしていてね、家に大きな水槽があったんだけど、戦時中はその水槽のすぐ下に防空壕を掘って隠れたりもしていたのね。すると、水槽のガラスや、浮遊している大きな金魚の鱗に、爆撃の光が乱反射するわけ。美しいと言ってしまうと語弊があるかもしれないけど、なんとも言えない煌びやかさを子どもながらに感じて、いまでもスゴく記憶に残っているんだよね。

戦争の記憶というと、モノトーンなイメージを想像してしまいがちですが、決してそういうわけではないのですね。

それが全然違うんだよ。日常的に人間の無惨な死体が道端に転がっているような世界にいると、それが異常な体験として脳内に残っていくと思うんだけど、いまでも何かを作ろうとするたびに、血痕の鮮血な色とか爆撃で染まった空とか、そういう色彩が真っ先に出てきちゃうわけ。僕は1960年代のニューヨークでサイケデリック・カルチャーに触れてきたから、その影響で幻覚的な絵になっているんじゃないかという人がよくいるんだけど、本当はいま話したような子どもの頃に体験したことの影響が何よりも大きいんだと思う。やっぱり人格形成において根源的な影響を与えるのは、幼児体験だからね。

表現における色への意識というのは、デビュー当初から現在まで基本的には変わらないものなのですか?

多くのアーティストは、まず先に形を考えてから絵を描き始めると思うけど、僕の場合はいつも最初に色が浮かぶんですよ。いま振り返るとそれは小学生の頃から変わっていないのかもしれない。図工の時間に近所の桜を写生しに行った時に、僕は画用紙を全部桜にしようと思ったのね。隣の友達からもクレヨンを盗んだりして、ピンク一色で描いたんだけど、悪い例として先生にスゴく怒られた。なぜ景色をしっかり見ないで、桜の色だけを塗るんだと。そういうことは他にもよくあったけど、いま考えるとそんなに悪いことじゃないよね。

最初に思い浮かぶ色というのは、やはり幼少期に見た色が多いのですか?

僕が特に好きでよく使う色は、青と赤なんだけど、なぜこの2色にこだわるのかを考えてみると、やっぱり子どもの頃の経験なんだよね。戦争が終わって、疎開していた新潟から東京に帰ってきて、目黒の駅で降りると、見渡す限り赤い焦土が広がっていてね。その先の水平線の上には雲一つない真っ青な空が見える。真っ赤な大地と真っ青な空で二等分された世界が目の前にあって、子どもながらにその景色をスゴイなと思ったんだよね。その強烈な風景体験がずっと自分の中に残っているんだと思う。

寝ている時に見る「夢」が作品に影響を与えることもあるそうですね。

ありますよ。夢にはずっと興味を持っているんだけど、そのきっかけは、京都の高山寺というお寺にいた明恵上人という偉いお坊さんが、50年間自分の夢を記述し続けていたということを白洲正子の本などを通して知ったことなのね。それで僕もやってみようと思い、20年くらい夢の記録を描いていた。それを毎日やっていて、結局5,000枚くらいになったんだけど、結局途中でやめちゃったのね。夢というのは、自分の期待に応えてくれるもので、「こんな面白い夢を見た」というのを絵に描くじゃない。そして、「次はもっと面白い夢を見たい」と念じて寝るんだけど、そうすると本当にそういう夢が現れちゃうわけ。それがどんどんエスカレートしていくとちょっと病的になっていく。ある時病院で毎日夢を描いているということを話したら、すぐにやめなさいと言われちゃったんだよね。

田名網さんが見る夢というのは、やはりカラーなのですか?

全部カラーだね。色んな夢を見るけど、そのほとんどは日常の延長線上にはないような、非現実的でシュールレアリスティックなもの。僕自身もそういう夢を期待していたから、そうなっちゃったんだと思う。夢というのは、現実世界をはるかに超越したものだから、面白かったものは当然作品の中に入れ込むこともある。だから、僕の作品というのは、夢の中の世界とある部分一体化しているともいえるんだよね。なんで僕がこういう絵を描き続けているかということにもつながってくるけど、結局これらは自分が見たいと思っている究極の世界なんだよ。現実の世界には存在しないけど、自分が見てみたいと思って夢想しているアナザーワールドというのがあって、それを描いているんだと思います。


プロフィール

田名網 敬一 / 現代美術家

1936年東京生まれ。武蔵野美術大学デザイン科卒業後、博報堂の制作部に勤めたが会社外の仕事が忙しく、1年で退社。
その後、アニメーションや版画、イラストレーション、エディトリアル・デザインなど前衛的で遊びに満ちた様々な創作活動を行う。
75年に日本版『PLAY BOY』誌の初代アートディレクターに就任する。デザイン分野で、日宣美「特選」などを受賞する一方、映像による実験制作を試み続け、作品はオーバーハウゼン国際短編映画祭、エディンバラなど世界各地の映画祭、映像展で上映された。
87年にはフランスのアヌシー・シャトウ美術館で個展、92年には池田20世紀美術館で「田名網敬一の世界」展が開催された。
91年より京都造形芸術大学教授に就任。現在は同大学情報デザイン学科・学科長を務める。
02年にはアニメーション作品を収録したDVD『TANAAMISM:映像の魔術師1975-2002』、『TANAAMISM2:映像快楽主義1971-2002』が発売され、その年の8月には広島国際アニメーションフェスティバル、9月にはバンクーバー国際映画祭、11月にはオランダ国際アニメーション国際祭に招待上映され、その後も、ロッテルダム国際映画祭、ロンドン国際映画祭、ナッシュビル・インディペンデント国際映画祭などで招待上映が続いている。 03年には秋冬コレクションで「MARY QUANT LONDON」とコラボレーション、04年には宇川直宏と「SUPER CAR」のアートワークを担当し、特に若い世代から大きな反響を得る。
05年にはニューヨークTransplant Galleryでペインティングによる個展、ノルウェー国際短編映画祭で「田名網敬一の映画」と「グラフィック100展」を同時開催。最新作を集めた『spiral』を青幻舎より出版。